日記(雑感)

こんにちは。ハイタニです。
休業明けいろんな思うことがあるだろうなと思ってたのですが、いざ明けてみると(ほぼ)普通の日常が戻ってきただけで、もちろんいろんな変化はあるけど私の生活が特別変わったかというとそんなことはなく、つまりここ数ヶ月の考えごとが書かれているだけです。
休みが明けたら一ヶ月くらいで溜まるかなと考えてましたがむしろあまりに普通に過ごしていたのでいつの間にか三ヶ月も経ってしまいましたね。



・(今となってはすっかり慣れてしまったが)本当にずっとマスクを着けていて、着けないでいいのなら着けたくはないと思っている。実際帰り道人気の少ない道に入ったら外しているし、四六時中着けている必要はないということは理解しているつもりなのだが、仕事中、店内でマスクを着けていない人を見るとやはり「マジかよ……」と思ってしまう。着けている人間が善、着けていない人間が悪、ということでは決してないはずなのだが。いやでも店の中では着けろよ。

・少し時間が経ったので、少し内容をぼかして書かせてもらうと、休みが明けて数日くらいで、お客様のものを手渡しで返そうとしたら大変不愉快なお気持ちになったらしくネチネチと嫌味を言われたことがあった。一番人との接触に敏感になっていた時期でもあったから、確かに私が悪かった。だからといって私をそこまで攻撃していい理由になるのだろうか?まあ、なるんだろうな。自分が被害を受けたわけだし、加害者に抵抗するのは当たりま…………加害者!?!?被害!?!?!?ていうか被害を受けたら相手を攻撃してい……正当防衛!?!?そんなわけあるかい。ていうかまあ、私が腹が立っただけです。愚痴は吐かせてもらったし今はもうスッキリしている。お客様、その節は大変失礼いたしました。

・人に嫌われたくないという一番汚い願望で生きてるという自覚?認識?だったけど、少し違ってて、もしかしたら「人に迷惑かけたくない」が一番だったかもしれない。大して変わらないと言えばまあそうなのだが。自分のせいで不利益を被ってほしくはない。少し考えてみると、「人に迷惑かけたくない」「自分の意思を主張して他人にどう思われようと構わない」「他人とはそれなりに良好でかつ適度な距離を保って生きていきたい」とか、矛盾を含むような願望にまみれて生きているところもあるが、そういったものをみなどこかで内包しているのが人間という生き物だと思う。

・この日記は段落順が時系列ではないので(思ったことを思い出したときに適当な場所に挿入している)、前の段落を読みながら「なんだこの話……?」「このとき何があったんだ……?」と思っていることがままある。

・姉となんか話をしたときに、私たちは諦めが良すぎる(早すぎる)という話になった。例えば誰かと話をしていて「これ平行線だな……」「私が言ってること聞く気ねえな……」と思ったときにすぐさまやめてしまうとかそういうこと。めんどくさいという気持ちが一番前に来てしまうというのもそうだし、説明を考えるのも説明するための労力ももったいないし、何よりそう感じた時点で相手を切り捨ててしまう。要は「もういいや」ということ。……という感覚が我々家族の共通の部分だね〜と認識したところで「マジで人でなしだな!」と笑いました。笑っとる場合か

・『怒り』に関しては昔からずっと言っているのだけど怒るのがめんどくさい。疲れる。無駄だと感じる。などがあり、相手にそこまでの労力を割きたくない。などもある。こういうところがまた人でなし。でも本当に、怒ることが本当に面倒で、怒りをがんばって表現するくらいならもう相手のことを諦めてしまう、という選択肢をとってしまう私にとっては怒れる人はある意味すごい。一種、期待がないとできないことではないかと思うのだ。もちろんそんな感情は微塵もなくただ感情が爆発しているだけの人間も少なくないとは思うが。というか私は怒られたくないのでのらりくらりと逃げ続けている。仕事のお叱りとかはまた別ね。

・店長がカレンダーで見たか何かで、月の旧暦?というか古名?なんて言うんでしたっけ?まあそれを「なんだっけ〜」って話をしてて。睦月って何月だっけ、4月ってなんだっけみたいな。それを私が全て言えたので、すごいね!って言ってもらえて、「中学のとき自習の時間に暇すぎて覚えたんですよね、でも授業は覚えてないんすよね(笑)やっぱ自分が興味あることしか覚えらんないすね〜」とか言ってたんだけど、それも本当なんだけど、まさか月全てにキャラクターを作ってそれで覚えたとは言えないよな……。

・私の根底にあるものとして『許されたい』がよく出てくるのですが(ご存知みたいに言うな)、体重がマジで落ちないのでストレッチ動画をやることで許されようとしている。許されるかどうかは置いといて(だって誰に?何に?許されるかそもそも意味がわかりませんので)普通にいいことなんだよな。体重が落ちるかどうかは別だが。

・来月健康診断があるのでそれに焦ってるというところが大きい。常に焦っておけよという話でもある。先日お知り合いの方と食事をさせていただいたときに、「健康診断の話してるのお前だけ」というニュアンスのことを言われ、マジかよ!?と思い返してみたらマジだった。みんな健康診断の話してない。健康診断なんて些事ってこと?というかツイッターに書き込むことではないのかもしれない。私は自分に起きたことを全てツイッターに書こうとしがち。

ツイッターが現実と思ってないからこそツイッターに現実のことを記録として残そうとしているというか、この日何があって何を思ったとかを書き残す場所が常に欲しい。それが今はツイッターである。学生のころ若気の至りで大して更新のないサイトを作りおまけのような低クオリティらくがきをたまにあげて、毎日日記を書くことだけを楽しみにしていたように思う。まあつまり私は日記を書くのが好きなんだろうな。だからツイッターも好きなんだろうな。なんかツイッターを好きとか言うとちょっと恥ずかしいな。ツイッターというツール?が好き?まあもうなんでもいいか……。

ツイッターで毎日見てる人が2日とかいなかっただけでなんだかすごく不安になってしまったんだけど一般的にはツイッターに丸2日現れなくてもな〜んの心配事もないのでは?と気づいた。私みたいなツイッター依存症の人間が例えば2日間とか現れなかったとして、私のような人間は違和感を抱くかもしれないけど、ほとんどの人間は「なんとも思わない(思う思わない以前に何も気づかない)」ということだろう。でも私のツイッター依存はそれに気づいたところでなくならないし、こういうことがあったからこう書いたが、仮に見ている人がいなくてもしばらくは『とりあえず』で居続けると思う。何に期待しているのかは自分でもわからない……。

・芸人さん同士の話で、子どもが生まれて、かわいいと思うか?というよくある話で、「自分でもそんなふうになるイメージが全く湧いてなかったけど生まれるとやっぱりかわいい」「俺たちもお前がそんなこと言うようになるイメージはなかったけど、やっぱり変わるんだね、みんな言うけど」の流れで一人「俺は信じてねえからな。そんな簡単に変わらないだろ。変わったと思われたいから、なんか一応パパになってそういうアピールしたいだけだろ。お前はそんなこと思うような人間じゃないだろ」と言っていて、子どもがいないから完全にわからないが、生まれた方が言ってることもわかる気はするが、後者の方の言っていることも理解できるような気がする。そして後者の方はそれが本当に信じられなくてずっと子どもは作っていないのだという。言い方は大変悪いが賭けのように感じてしまうのだろう。そういう考え方もあると思うし、そういう選択もまた良い選択なのではないかと思う。

・さっきの話の続きで、「本当にかわいい、見ていて飽きない、毎日顔が変わる」と言って、「さすがにんなわけあるかぁ!」「それは大げさでしょ、だって数日でそんな顔変わることある?」「赤ちゃんって生まれたばっかって顔しわしわでしょ?あれビショビショだからで、乾いてくると顔全然違うんだよ」「えーーーーー!!!あれそういうことなの!?濡れてるから顔しわしわなの!?!?でも言われてみればそうか!!いやこれはマジで知らなかったわ!!!」「そっか、中で水に浸かってるみたいなことだからあんなしわしわなのか、それが乾くのか……」「そういうことらしいよ」って話もしていて、これはマジで私もそういうことなんだー!!と思った。という覚え書きです。

・今日(9/10)、誕生日前日なんだけど、もともとお店のメンバーで焼肉する予定で、冗談で「私の誕生日前日じゃないですか!はしゃいじゃお!!」などと言っていたところ、先ほど焼肉終わりに本当にプレゼントをいただいてしまった。一応「別に本気で言ってないですからね」などの根回しはしていたつもりだったのだが皆さんの優しさが上回ったみたいですね。申し訳ないとも思いつつ、本当にありがたいことです、ていうか嬉しいね。サプライズってほど大げさじゃないけど、サプライズ的にプレゼント出される経験がなさすぎて自分がどう受け取ったかどう喜べたかあんまりちゃんと覚えてない。こういうとき自分が感情を出すことが下手な人間であることがすごく悔しい。でも私のためにプレゼントを用意してくれるようなみんなたちなら……私がちゃんと喜んでるの……感じてくれるよな!!(今の流れでなんでそこで自信満々になれるんだよ)

・先の文章からわかるとおり、私は今まで生きてきて本当に飽きるほど「感情がない」と言われてきたし自覚もある。自覚があるというか、自分では自分のこれが当たり前なのでそう言われてもありますが?と思っているが、みんなからの言われっぷりや周りの皆さんの挙動を見るに確かにどうやらそうらしいという理解を得た。ただそれで困ることもないし、変えようと思っても変えられるものでもないから、ずっとこのまま生きてきたしこれからもそうであろう。しかし先ほどのように「いいリアクションをしなくてはならないのでは?」とさすがの私でも感じる場面では他人の期待を裏切っていまいかとどぎまぎする。ここで数個前の段落で出てきた諦めの良すぎる自分が「私はこういう人間なのでこれでダメなら申し訳ないが何もできない」という結論を出す。お前はビッグダディか。でもまあ、普段から私と接してる人たちだからわかってくれてると思ってるよ。それを当たり前と思わないでそのことにしっかり感謝して生きていきたいですね。誰だよ。

・いろいろ私の取扱説明書みたいな文章を書いてはいるが私は自分のことを特別だとか変な人間だとかは思っていない。こういうところがある、こういう取り扱いにくい部分もある、くらいは誰にでもあって、自覚のあるなしは置いといてもその内容が何か特別ということはほとんどないと思う。何かを見て感じることとか、人に対して思うこととか、自分が発信する言葉とか、どれをとっても特出した個性なんてものはないと思うし、それでいいとも思っている。私がそう思っていても近くの誰かが私のどこかを面白いと思ってくれているから一緒にいてくれるのだろうし、マジ感謝。(突然のHIPHOP)

・文章の書き方から気難しそうな気配を感じたりするのだろうか?読んでみると難しい表現など一つもないから書いている人間がお勉強のできない人間なのは自明の理であると思うが。というのも私は普段こんなしゃべり方は当然しないし、ツイッターでもしないので、どこから来たものかと自分でもわからなかったのである。多分日記として書きやすい文体ということなのだろうが、なぜそう感じるのかはわからない。自分が日記を読む側になったときこういう文体の日記が馴染みやすいと感じているということだろうか。まあなんでもいいのだが。考えることが好きなわりに考え続けることは諦めがち。

・うさ脳:インプットが感覚的(指組み右下(右脳))、アウトプットが論理的(腕組み左下(左脳)) 何もかもがこの通りではもちろんないけど、こういった要素を自分はじめいろんな人に絡めてどういう感じなのか考えるのは好きなので、この機会にここに書き残しておく。好きなわりにすぐに忘れるので。



これを投稿する9月11円、私は29歳になります。
おめでとう!ありがとう!
健康にここまで生きてこられたことが何より嬉しく、人生の少なくない時間を共に過ごしてくださっている皆さま方にも本当に感謝しています。これからもよろしくお願いします。
なんもなさすぎて逆に何かあれよ!とか思ったりもしますがまあ、これからもそれなりに平和に生きていきたいですね。