ダンガンロンパV3 考察的な

※大変に個人的な解釈ですので、無理そうと感じたら即座に閉じて忘れてください。
※別の考え方を否定するつもりはありません。うんうんそれもまたダンガンロンパだね。
※ところどころ話が脱線したり自分の趣味嗜好が入り乱れたりキツイ言い方になったりします。
※基本的にめちゃくちゃ前向きな捉え方ばっかりしてます。





すごい作品でしたね。
終わったあともこんなにいろいろ考えて考えて考えてるのがその証拠だと思います。
賛否両論激しいってのも終わったらすごくわかりました。その反応もある種正解なのだなあとも思います。

どこかで見かけた『最原終一が勝った』『現実のこの反応が最原終一の作った結末を肯定している』みたいなご意見が大変心に響いています。
最原終一が戦って作り出した結末がこれならそれは素晴らしいことなんじゃないかなあ。最原終一と共に戦ってきた我々としても、最原終一を一視聴者として見続けてきた我々としても、これは喜ばしいことなんじゃないかなあ。
まあこれはあまり関係のない話なのでやめます。



とりあえず結末から考えていきます。
結局何が真実で何が嘘だったのか?どこからどこまでが本物で偽物なのか?プレイした人たちはみんな少しは考えたところだと思います。
テーマが『嘘』なので当然考えなければいけないところですし、結末以外の部分もそうですし、それを考えることによって見えてくることなどもあるはず。
どれが嘘かを選ぶのも自分次第ですが。
先に言っておきますが『考えている』だけでこうだと決めきるつもりはないです。読後感がよくないかもしれません。

6章裁判から考えられる現実パターンをいくつかあげてみます。

・白銀つむぎの言っていることが全て真実。
﹂何もかもが嘘で存在しないもの。
・白銀つむぎの言っていることが一部嘘。
ダンガンロンパは作品だが53作もやっていない。メンバーを騙すための大げさな嘘。テキトーな数字からコロシアイゲームを始めている。
﹂メンバーの才能は本物で超高校級のコロシアイゲームのやりたさにいろいろな偽装工作をした。
ダンガンロンパが作品というところが嘘。
﹂1作目と2作目も現実のもの。ただしそれはずいぶんと前の話で、その世界観にインスパイアされたチーム(あるいは白銀つむぎ個人)がコロシアイゲームを始めて流行った。今回が53回目。
﹂1作目と2作目も現実のもの。江ノ島盾子に心酔するチーム(あるいは白銀つむぎ個人)がまたコロシアイゲームを始めた。今回が何回目かは不明。チーム(あるいは白銀)は絶望の残党である可能性が高い。
私が思いつくのは大体このあたりです。批判しかしていない方は一番上しか考えられないのかもしれません。それは悲しいと思うんですがね。
あくまで私の希望的観測ですが、プロローグをもう一度やってみてくださいという発言だったり、作中のキャラクターたちが信じることをテーマにしていたりする部分が、全て嘘ではなかったと言ってくれている気がします。



上のパターンでわかるでしょうが、線引きが非常に難しいです。
例えば白銀つむぎの言っていることが全て真実とした場合、最後の「模倣」の意味が複雑になってきます。頭が痛くなってきたので割愛します。

ダンガンロンパを現実とした場合でも作品とした場合でも、彼らの才能も難しいところです。
現実とした場合は、才能は本物で消して思い出させられた、才能は本物で消されて思い出させられた、才能は偽物で植え付けられた、才能(肩書)は偽物だがその才能(能力)はあった、などが考えられます。白銀つむぎは3つめと4つめの中間あたりを言っていましたね。
ですので作品とした場合は3つめと4つめあたりになりますが、それだけでは解決できないようなことが多くあった気がするのですがね。まあそこもプレイヤーの受け取り方でしょう。
全て嘘の設定と考えるのも間違いではないけど個人的にはちょっと寂しいなあ。

性格や行動や家族構成まで嘘、あれはどうなんでしょうか。
これに関しては全て真実、全て嘘、と捉えるよりは部分的に嘘があると捉えるのがいいのかなと。
最原くんも言っていたとおり、「あんなことを言うとはどうしても思えない」という根底の部分があったり、『ある程度の適性はあった』という発言からして、全て後付けというのはさすがに無理があるのかなと感じます。
人格全てを変えるなんてことできるのか?って話……はまあ正直なんでもありなのでそれに関して考えるのは無駄でしょうが、コロシアイゲームを楽しむにあたりある程度残しておかないと楽しくないんじゃないですかね。ぜーんぶ誰かが考えた設定を詰め込んだだけならきっと展開が見えてしまうしわかりきったストーリーを追っても楽しくない……と一ゲーマーは考える……。
素の性格、考え方あたりは多少もとのままではないかと私は思います。これもまたどこかを嘘にしたら矛盾してきちゃうんでしょうが。んあーウチはまた混乱してきたぞ!!

ダンガンロンパ(希望ヶ峰学園)が現実だとして、特にそこまで矛盾はないのですが、一番はかの『キモイブツブツ』ですね。ただそこも嘘と捉えるか、少しの真実と少しの嘘と捉えるかという部分ですよね。細かく見ていったらもはや何もわからなくなってしまいます。
どこまで嘘と捉えるかも人次第です(投げやり)。
ちなみに現実ではないとした場合も当然矛盾はないのでここに関してはほんとご想像にお任せって感じですよね。ここが一番「信じたいようにしてください」感がある気がする。

あとは天海くんの設定や映像についても難しいですね。
天海くんだけ何度も記憶を上書きしたりそのために撮らせたりということもないだろうとはさすがに思うので、生存者と映像が本物だったとしても、けっこうどのパターンも矛盾がありません。
もちろんそういう矛盾のないように作られているというのはあるでしょうが、ただ予想として、記憶の消されてない(映像の)天海くんが首謀者を暴くよう指示しているあたり、やはりこのゲームは『やらされている』のではないかと思うのです(この場合「自分で望んだゲームだから勝たなければいけない」は前回自分がおしおきに候補したこと、勝つというのは真実を暴くというように捉える)
ただゲーム参加の志望動画、まああれもなんとでも言えるのですが、あれをより天海くんの発言に信憑性を持たせると捉えるか、あの映像は偽物で天海くんの設定も偽物、あの映像は偽物だけど天海くんの設定は本物、などなどあるので、まあそれも自分が望む現実の証明の一つにすればいいんじゃないかな。
ダンガンロンパが現実なのか作品なのかは置いといても、コロシアイゲームが同じように今までもあったのかという部分を考える上で大事なことですね。
(『視聴者』が嘘で、アングラ的にこれが行われていたという解釈はなるほどなあと思いました)

多分たくさんの方が考えてたくさんの方が話していると思うのですが、プロローグは一体なんなのか。
6章の白銀つむぎが言っていることを真実とするとプロローグが嘘になります。たださすがにプロローグから全部嘘ってことはないよな?と考えてしまいます。今までもそうですし、唯一『赤松楓』の目から見た現実なのではないか?少なくともあの場面で何かを忘れていたり思い出している様子はなさそうです。
なのでプロローグは記憶が『操作され』て『見せられた』ものではないと感じます。あそこだけは素のみんなが見た現実ではないでしょうか。
プロローグが真実という前提で話せばいくつか嘘になることが決まってきます。

一番はコロシアイゲームの参加志望動画ですね。あれはやはり偽物、あるいは記憶を操作されて撮られたものということになります(上述の天海くんと同じで無駄な手間がかかるので前者の可能性が高い)。
そしてこれもいくつか記事を読んだあとにいろいろ考えたので受け売りみたいなもので申し訳ないのですが、白銀つむぎについてもです。
『白銀つむぎは作られたキャラクター』『白銀つむぎ自身も普通の高校生だった』『白銀つむぎは首謀者という《設定》を与えられていた』などが考えられてくるわけです。
これは私一人では思いつかなったことなんですが、確かにそう考えても矛盾はないんですよね。言われてみると確かにダンガンロンパならそれくらいやってくるなと納得すらできてしまう。
ものすごく都合よく解釈すると、『超高校級のコスプレイヤー』『白銀つむぎ』が『首謀者』の『設定』を与えられたなども考えられるわけです。やばい。
あの映像が本物というパターンは白銀つむぎが言っていたことが全て本当というパターンのときにしか適用されない。と思う。自信なくなってきた。

ちなみに私個人としては先程のパターンの中では一番下の現実を望んでいます。希望ヶ峰学園も今までのキャラクターも今作のみんなの才能も信じたいからです。それだけです。根拠とかがあるわけではありません。なんなら他の現実のほうが可能性としては高いだろうなとも思います。
でもほら〜百田くんがやり遂げちまえば不可能も可能になるとか、信じたいから信じるとか、信じたい奴を信じられない世界なんかいらねえとかそういうこと言ってくれたから〜!!
というわけで私は私の信じたい結末を信じます。皆さんも皆さんの信じたい結末を信じてください。

せっかくこんな長ったらしい記事を書いたので私の解釈をまとめると、『希望ヶ峰学園は実在し、江ノ島盾子が首謀したコロシアイゲームは終わり平和になりかけたが、まだあの世界観を心酔する者は存在し、超高校級の才能を持つ者たちを拉致し記憶を改ざんしコロシアイゲームをさせていた。ルールは完コピ、最後のおしおき(次回のゲームに参加)はチームのお楽しみ要素?終わらせないためのもの?そして希望ヶ峰学園のときと同じように、世界に配信していた(規模は不明。外が平和とするなら闇サイト(笑)的なものかもしれない)』です。
う〜ん才能の部分がやっぱ一番難しいなあまた考えます。


ところで弱い主人公として出てきた最原くんですが(弱いからこそ今作が成り立つ系の話は省略します)、最後の彼、つまり結末を作った彼ですね、を作ったのはなんだったのかという話を、したいのでさせてください。
まず『超高校級の探偵』としての最原終一の形を作ったのは言わずもがな赤松楓でしょう。さらにそこからあの結末に辿り着いた最原終一を作ったのは、全員と言えばもちろんそうです。死んでいったみんなの想いを背負って、共に生き抜いてきた仲間たちの支えです
それはもちろんとして、一番支えていたとなると百田解斗ですよね。最原終一、ひいては最原終一を通して見ていた我々は何度も百田解斗に救われたはずです。
百田解斗は光だった。苗木くんで言うところの霧切さん、日向くんで言うところの七海だと思っています。これは個人の感想です。

百田解斗が光として最原終一を照らし支えていたとすると影を作り支えていたのは王馬小吉ではないかと私は考えています。
明るく照らされているだけでは完成しないのが主人公であり、否定したり疑ったり違う戦い方をしてくる人間が必要で、今回それを王馬小吉が全て引き受けたのではないか。
5章で最原終一が背負ったのは、百田解斗の想いと信頼だけじゃなくて、王馬小吉の想いと彼の生き様もなんじゃないか。と私は思うわけです。
言わなくてもお気づきだとは思うのですが、最原終一の次、あるいはそれ以上に真相に近づき暴こうと壊そうとしていた彼なので。そして百田解斗と同じくらい、あるいはそれ以上に最原終一を認めていたのではないか。
最原くんも5章終了でただ引っ掻き回していただけではないと、さらに6章の探索で気づいたと思います。彼は賢く、(多分それなりに)優しく、コロシアイを否定していたと。戦っていたのだと。

王馬くんに関してはそのうち私情が入り乱れた記事を書こうと思っているのでこのへんにしておきますが、こうして一番最後の最原終一が完成したのではないでしょうか。

希望を選ぶと、希望で終わるときっと誰もが思っていた、その期待を否定して、彼らの現実を自分たちが受け入れて、他人にもそれを認めさせるために、絶望も希望も否定する最原終一は、否定する『勇気』を手に入れていたし、『強さ』も身につけていた。
そして掴んだあの結末は誰にも否定できない。
そしてそこに確かに生きていた最原終一がこれからどう生きていくのかは、私たちには知る由もありませんが、彼らの未来を応援します。



いやしかしな、完全にあそこで「希望キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」ってなってたよな俺たち。やっぱり希望じゃん!って思ったよな。
しかしな。ほんと。何が希望だよって話だよな。絶望でなんか終わらせないけどこんな終わり方してそれを希望って呼んで囃して、何が希望だよ。生きて出れましたハッピーエンド!じゃねえんだよって。
キーボくんが内なる声って言ってたり希望ロボットになったあたりでうお〜!!ってなってましたけど完全に視聴者役にさせられてましたね〜。だからこそ視聴者たちを否定した、そしてその選択をした最原終一に痺れたわけで。

最原終一たちはあそこに確かに存在していて、必死に生き抜こうとしていて、だからこそつらくて寂しくて、周りの奴らが勝手に言ってくる『ハッピーエンド(希望)』なんてものを否定した。
全てが嘘だったとしてもそのときの彼らの想いは本物だった。これもまたプレイヤーの我々に響いたはずです。そう、最後に絶望を叩きつけられ、信じていたものを否定され、ろくでもない希望を選べと迫られても、最原終一を通してあの惨劇を見ていた私たちが感じたあの気持ちも本物だった。だからこそ投票を放棄できたんですよね。

もう絶対にまとまらないのでそろそろ終わりにしたいと思います。
もしこんな長ったらしくてまとまりのない文章を読んでくれた方がいましたらありがとうございます。
2周目をやったら絶対また見方が変わってくると思うので、2周目をやって改めてこの記事を読み返しながらもう一度考えたりしたいですね。
そのうち私情を挟みまくった感想やキャラ語りをするつもりです。よろしくお願いします(?)。
それではお疲れさまでした。